【プロフィール】
アダルトチルドレン専門カウンセラー 「 今吉 ベル」です。
相手を優先し、頑張り続けてきた人生でした。
自分の本当の気持ちを置き去りにし、耐え続けてきたあなたが、自分らしく人生を選び直すためのサポートをしています。
よかったら私のプロフィ-ルを読んでください。
■5歳「子供の気持ち」より、大人の事情が優先されていた幼少期
5歳くらいの頃、頑固な祖父が自宅に来ていた時の事を覚えています。
祖父はとても頑固な人間で負けることが嫌いな明治生まれの人間でした。
母は、お金のことで祖父になにかを話しているようでした。
母はそれにいらだったのだと思います。
タバコの火を、私の手に軽く付けました。
(痛い!?なにかいけない事でも言ったの?。。。)タバコの火をつけるなんてと思わずびっくりしました。
意外な母の姿に疑いの目が向きました。
ひどい人だ!怖い人だ!と思ってしまったのです。
火傷は小さかったので心配もされないまま、私の心には、大きな火傷を負いました。
大人には大人の事情があったのだと思います。
けれど、子どもの私にも、子どもの私なりの気持ちがありました。
そこには、私の話をきいてくれない母親の姿。
その後暴力はありませんでしたが、無視をすることが多くなりました。
私がそろばんを習いたいとか、ピアノを習いたい、本が欲しいなどやりたい事に返事をかえしてくれない。
ダメならダメと言ってほしかった。返事を返してほしかった。とても苦しかった悲しい気持ちになりました。
そこ頃からか、ぐっと気持ちをこらえる度に私は涙があふれてくることが始まりました。
感情を押し込めれば押し込めるほど涙が溢れて止まらない現象が長く続くことになります。
自分の思いは、事は叶えられない理由。
それは、後継ぎにだけに与えられる特別な長男長女でないと叶えられない事だと、だんだんかわっていくようになっていきました。
母親の意見を聞くことで、自分を受け入れてもらえると思い込むようになっていた幼い記憶です。
その為NOが言えない。自分をださない。相手の意見を優先する癖が身に付きました。
母親の意見を聞くことで「自分の存在価値がない」「愛されない」と無力感を消したかったということだと気づかされました。
■恐怖と我慢の刷り込み。「失敗=罰が飛んでくる」世界での生きていく術を学んだ小学生時代
私の生きづらさの根底には、幼少期の恐怖と我慢の体験がありました。
小学3〜4年生の時の担任は非常に厳しい先生でした。
失敗すると容赦なく拳で叩かれ、教室では決まった子がいつも泣いているような環境。
(文字をはねるところをはねてないだけで、間違いと言われて怒られるなんて!?)
「失敗したら先生の拳が飛んでくる」という痛みと恐怖が身体に刻み込まれます。
いつしか私は「失敗してはいけない」「自分が我慢しなければいけない」と極度の恐怖を抱くようになりました。
大人たちにとっては「成果を出す厳しい先生=良い先生」という価値観。
先生が絶対であり、子供の恐怖や辛さが理解されることはありませんでした。
翌年、その先生が教育委員会に訴えられて新しい先生が来ました。
しかし荒れた教室のしわ寄せはすべて生徒側へ向けられました。
「家庭の中でも、母親の自分の気持ちをきいてくれない。」
素直な気持ちや悲しみを母親に分かってもらえない寂しさを抱えていました。
その一方で、母親が嫌がることを代わりに引き受けると褒められる——。
「自分の気持ちより相手の希望を優先する」
「辛い時ほど一人で限界まで耐える」
という生き方のパターンは、こうして学童期に深く刷り込まれていきました。
■長女優先の家庭環境と、自力で道を切り開いた中学生時代
中学校に上がると、学年成績上位となった姉との明確な「比較」が始まりました。
母親は家庭でも学校でも長女を優先的に扱うようになり、進学や金銭面でもあからさまな差がつきました。
15歳で中学校を卒業する際、大きな試練が訪れます。
行きたかった私立高校が姉と被ってしまい、親から「金銭的にあなたに通わせるお金は出せない」と告げられたのです。
諦めざるを得なかった私は、15歳で実家を出て職場の寮に入りました。
看護師の見習いとして現場で働きながら、定時制高校と准看護学校に通うという「仕事・高校・看護学校」の3つを同時にこなす道を自分から選びました。
この頃からすでに、「頼れる人は誰もいないから、一人で限界まで頑張るしかない」と自分を追い込む生き方が定着していました。
■否定され続けた結婚生活、実家に帰れなかった離婚の痛み
20歳で結婚しましたが、親の価値観による否定と比較は終わりませんでした。
結婚相手のことも親の尺度で非難され、他の誰かと比べられ続けました。
30代になり子育てに追われる中でも、実家からは「内孫・外孫」と区別され、自分の子供たちまで差別的な扱いを受ける悲しみを味わいました。
(同じ孫なのにそのラベルはりの考えが許せない)と思うようになりました。
40代で離婚を決意した時も、実家に身を寄せることはしませんでした。
以前親類が離婚した際、親が「出戻り」「恥さらし」と吐き捨てていた言葉が胸に深く刺さっていたからです。
「辛くても実家には頼らない」「全部自分が背負わなければならない」と、傷ついた心を抱えたまま一人で前を向くしかありませんでした。

■人の心と身体に寄り添い続け、車内で迎えた限界看護師人生30年
15歳で看護の道に入ってから、看護師として30年以上、人の心と身体に関わる仕事に情熱を注いできました。
しかし、ある夜勤明けのことです。
車に乗った瞬間、激しい頭痛と猛烈な吐き気に襲われました。
身体が悲鳴を上げているのに、私は誰かに「助けて」と声をかけることすらできず、ただ一人で耐えていました。
振り返ると「どうして私は、仕事になるとここまで限界を超えて頑張ってしまうんだろう……」
人は十人十色で、考え方も目指す方向も違います。
それなのに当時の私は、「もう一人の自分がいたなら。きっとなんでもこなせるのに。」
一人で膨大な負担を背負い込んでいたのです。
当初も看護師不足でスタッフ全員がいろんな業務をこなしていました。
忙しく動いている仲間をみると、自然と身についた背景に、
NOが言えない。
頑張ることしかない。
妥協しない。
の癖があり、いつのまにか、夜勤もできるだけ入ろうと思っていました。
それはきっと上司からもスタッフからも信頼される。給料も上がるし生活も困らないと考えがありました。
でも決していい生活循環ではありませんでした。
いつしか夜勤の影響で昼夜逆転で身体の不調として表れていました。
私は看護師人生を終わらせることになることとなりました。
■コロナ禍と元夫の死。「目に映るものが全てではない」と気づく人生の転機
人生を見つめ直す大きな転機となったのは、コロナ禍、そして離婚した元夫が46歳という若さで亡くなったことでした。
「目に見えている現実だけが全てではないはずだ。人の心を動かし、苦しめている本当の原因は一体何なのだろう?」
そう問い始めたことをきっかけに、子供の頃の恐怖や、親との関係の中で傷ついてきた記憶が鮮明に思い起こされるようになっていったのです。

■暗黙のルールと向き合い、親の価値観を手放していく
「親と物理的に離れれば自由になれる」と思っていましたが、心の中に残る悲しみや苦しさは消えませんでした。
心理学の本やセミナーを通して学びを深める中で、私は自分を縛り続けていた家庭内の「暗黙のルール」に気づきました。
「家の中で起こったことは、外にもらしてはいけない」
「親の言うことを聞かない子は親不孝者(不幸になる)」
「長男・長女が主導権を握るべき」
「学歴や成果での価値判断・比較による優位性」
「限界まで頑張らなければ、結果は出ない」
これらの呪縛こそが、私から「助けを求める権利」や「自分の気持ちを優先する自由」を奪っていた原因でした。
「愛着(アタッチメント)」やアダルトチルドレンの特徴を深く学び、「これは親の価値観であり、私の価値観ではない」と切り離せた時、ようやく自分の本当の気持ちと向き合う準備が整ったのです。
■箱の中に閉じ込められていた幼い自分を見つけ、心を解きほぐした瞬間
自分の心深くを見つめていく中で、ある感覚が浮かび上がってきました。
私の心の中に、小さな箱に閉じ込められたまま震えている「幼い自分」がいたのです。
一つ一つ取り除いた暗黙のルールの奥にいた幼い自分がいました。
「見つけた-」と愛らしいその子を上から抱き上げ抱きしめました。
「怖かったね。辛かったね。親のルールを守るために、よく一人で耐えてきたね」
「私自身の本当の気持ち」を受け止めた瞬間、これまで固く結ばれていた心が少しずつほどけていくのを感じました。
■負の連鎖を断ち切り、「自分の人生を選び直せる」未来へ
家庭や学校の中で無意識に繰り返されてきた傷つきや価値観は、生きづらさとして引き継がれてしまいがちです。
だからこそ、その連鎖を自分の代で紐解いていくことが大切だと考えています。
「なぜこんなに苦しいのか分からない」
「これからどう生きていけば良いのか見えない」
だからこそ私はアダルトチルドレンの専門家になりました。もしよかったらアダルトチルドレンの専門家にお申込みください。
そんな風に心の中で立ち止まっている方。
自分の「本当の気持ち」に気づき、親や周囲の価値観と自分の気持ちを分けて考えられるようお手伝いをしたいと思っています。
誰かの期待や恐怖に応えるためではなく、「自分の人生を、自分で選び直せる未来」へ。
あなた自身の心をほどき、自分らしく歩み出すための伴走をしていきます。
